佐伯一麦氏を講師に、短編小説の鑑賞および実作を行っている「麦の会」。年二回発行される会報である。ひょんなことから私の手元にやってきた。
総ページ数128、A5判で並製アジロ。いまどき珍しいスタイルではある。ぱっと見は薄いのだが、中身はぎゅぎゅっと濃いものが詰まっており、読了に時間がかかってしまった。
短篇、中篇を含む創作が12篇と、課題特集なる、とあるテーマに沿って書かれた創作が2編。今回は「携帯電話」が課題テーマとなっている。
(作者の方の名前を載せたほうがよいのだろうか…。とりあえず題名のみで。)
■ 秋田竿燈
退職した世代の、なんとも言えない悲哀を描いた作品。
認知症にかかった妻を抱えながらの退職生活。現実の苦しみを忘れようとさまざまなことを行うも気は晴れず。公園でボーっとしているところへ「いきいき舞い」の練習に出会い、参加しませんかと誘われる。― その、誘ってくれた人が死んだ。残された妻、友人、謎。それらが一つ一つほぐれていく過程の中で、何が大事なのかを再確認させてくれる、悲しくも強さを感じる中篇。なんだかア・ルース・ボーイに色調がにているかも。
■ トランジスタ・ラジオ
思春期の少年から見た離婚を描く。自分の親の離婚、友人の親の離婚。子供をおいてけぼりにして生活を送る親たちと、離婚したくせに鑑賞してくる親たち。それぞれを一人の視点から掘り下げ、最終的には父親から脱皮するお話。
なんか、わかる。わかるけど、ラストはちょっと唐突でした。
■ 坂の上の家
認知症にかかった生みの親を持つ女性のお話。子供を置いて出て行った母親。おかげで青春時代を家族の世話で消費する羽目になる。その原因である母親が認知症にかかっているらしいと聞いたときの、心のなかの怒りや葛藤、悲しみや羨望を描いた作品。
話のわりにさらっとしているのが逆に印象的。私だったら絶対かけない類のもの。
■ 凱旋行進曲
「おばあちゃん」の死をさまざまな視点から描いたもの。構成が面白い。小道具には携帯電話である。また、仙台ネタがたっぷりと盛り込まれており、非常にユーモラス。まさに凱旋「行進曲」にふさわしい作品。お気に入り。
■ 妄譚
退職し、息子夫婦と別居をしている男性の孤独を、自分の中からの視点、モデルをとおしての視点という二重構造で描いている作品。
中島みゆきな香りがする、のは何故だろう。ああ、そうか。モデルの男性が「狼になりたい」という曲に出てくる人にそっくりだからだ。
■ 歪んだ月
父親の病死に端を発した暮らしむきを描いた作品。母の怖さ、強さ、悲しさそしてやさしさが家庭を支えていく。母から離れて始めてわかった彼女の苦悩を子供の視点から淡々とものがたる作品。
ラストは泣きそうになってしまう。母親の愛と言うのは、時には狂気にも似ているのかもしれない。
■ ある夜の出来事
足に障害を抱え、出歩けなくなった夫。頼んだヘルパーはどうやら夫に気があるらしい。というシーンから始まるのだが、童話の話が出てきて、作中の妻はあっさり自己完結してしまう。良くわかりませんでした。
■ 山形紀行
壮年夫婦の山形紀行。旅につき物のトラブルや迷子、思い入れなどをアクセントに淡々と描かれる山形の風景。静かな夫婦の静かな旅路。こういう、旅がしたい。
■ ほろ酔い記
お酒が呼ぶちょっとした禍福をテンポ良く書いた小品。酒は百薬の長であり、縁結びもその効用のひとつなのだよというのがメインテーマ。ほろ酔い加減のころにタイミングよく出てくる「本日のお勧め」見たいな一品。おいしゅうございました。
■ 桜
育てるもの。冬になって散るもの。春になって咲くもの。そして萌え出物。老年夫婦が経験する、死と生の輝きを「畑」をとおして描いた作品。ちょっと話にちぐはぐなところがあるのだけれど、それは逆に、なんともいえない味を出してるような気がする。
■ お目出度き先生
老いてますます盛んなとある書家。彼が起こす騒動をひとつのフィルターとして、老いた男性の性欲の一様相を見る作品。露悪というわけではないのだけど、うーん、それは人それぞれであって、ねぇ?っていう気がするとです。
■ フライド・チン・チキン
凄く不思議な作品。でも、一番共感できた。彼が歩んできた人生の不幸な部分。それを乗り越え、振り払うための力を得るために、彼は、油まみれのフライド・チン・チキンを食べる。「あっちぃ」を連呼しながら。
これ、なんだか良くわかるのです。ケンタッキーのフライドチキンではなくて、自販機で売っているフライドチキン。特に、病院で見るそれは、病人にとって手を出してはいけない禁断の食べ物。なまっちょろい病院食ではなく、油まみれの、熱々のジャンクフード。これじゃなきゃ、明日は乗り切れないのさ。
次の二篇は「課題特集」。お題は「携帯電話」
■ 暗い扉
携帯電話とはあまり関係ないもの。寝ている隙にクロロフォルムで昏睡させられた挙句に妊娠させられてしまったかもしれないと悩む女性が、結局は子供をおろしたって言うお話。ブランコが小道具として出てきているのだが、さっぱり意味がわからず。
■ お月様のシャボン玉
ボケる寸前の女性が息子に携帯を持たせられる。ためつすがめつ見ていると、突然孫娘から電話がかかってくる。耳元で聞こえる孫の声に、おもわず彼女を背中におぶって世話していたときのことを思い出す。そのころに良く見たシャボン玉のようにふわふわしたお月様。
過去と現在、記憶と行動。老いるということ、忘却するということを自然体で受け入れる老婆のかわいらしい姿が描かれている。ラストは、おもわずにっこりしてしまう終わり方。
好みのものも、好みでないものも含まれており、性格上すべてを読まないと気がすまない私にとっては、とてもよい刺激になる。流石に会報に載るだけあって、それなりにレベルが高い。
「麦の会」を構成する方たちはお年を召した方が多いのだろうか。重いテーマばかりではあるが、ある種の力強さや粘り強さを感じる作品が多いことに安心感を覚える。なぜ、といわれると困るのだけど…。
このような雑誌をよむのも悪くない、と再認識させてくれた一冊でした。
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